空手を習う者が必ず一度は直面するジレンマ。
それは、哲学者ショーペンハウアーの寓話「ヤマアラシ・ジレンマ」を思い起こさせます。
ショーペンハウアーの寓話によれば、ある冬の日、二匹のヤマアラシが寒さをしのぐために寄り添おうとしました。しかし、お互いのトゲが刺さってしまうため、暖を取りたいのにそれができないというジレンマが生じます。
この話は、人間関係における距離感や、助け合いたいという願いと、相手に傷つけられる恐れとの葛藤を象徴しています。
[[red;空手を習う者にも、同様のジレンマが存在します。
それは、「空手は人を倒すためのものではない」と言いながら、実際には「人を倒す」技術を学ぶこと、そして「空手の技は絶対に使ってはならない」と言われる中で、使えない技をなぜ習得するのかという問題です。]]
私もこのジレンマに相当悩みました。しかし、悩み抜いた末に、意外にもシンプルな答えにたどり着いたのです。
話が逸れますが、スガシカオというミュージシャンをご存知ですか?
彼の名前は本名で、漢字で書くと
「菅 止戈男」です。この
「止戈」という言葉は、孔子の『左伝』に由来する四字熟語「止戈為武(しかいぶ)」に関係しています。
「止戈為武」とは、戦いの道具である戈(ほこ)を止めることが「武」の真の意味であるという思想です。
スガシカオのお父さんは、この名前に「争いごとを止める人になってほしい」という願いを込めたのでしょう。
「武」と聞いて多くの人は、侍の「刀」を思い浮かべ、恐ろしいイメージを抱くかもしれません。
しかし、
真の「武」は争いを避けることにこそその意義があります。
優れた武士は「平和は武によって守られる」と言ったそうですが、今この言葉が深く響きます。
若い空手家たちの組手を見ていると、彼らはしばしば激しい戦いを繰り広げます。それを否定するつもりはありません。むしろ、そのエネルギーは大切であり、一度は通過すべき過程だと考えています。刀は鋭ければ鋭いほど良いからです。しかし、抜き身の刀を常にちらつかせていることは、他人を不快にさせるだけでなく、自己を傷つける原因にもなります。刀は、やはり鞘に納めるべきものです。
ただし、使わない刀だからといって、切れ味を失った刃こぼれした刀を鞘に納めているのでは意味がありません。使うことがなくても、手入れが行き届いた鋭い刀が納まっていると、周囲の人々はその刀の存在を認識し、無用な挑発を避けるようになります。剣術も極め、刀も研ぎ澄まされることで、初めて「戦わずして勝つ」という武道の究極の境地に到達するのです。
空手においても、理想は一生涯使わないことです。それを実現するためには、無意味な争いに巻き込まれないことが重要です。相手が軽々しく立ち向かってこないようなオーラや人格を身につけるためには、日々の地道な稽古が欠かせません。
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