イタリアでバスに乗ったとき、非常に嫌な気分になったことがあります。
バスに乗ろうと必死に走ってきたお婆さんに対して、運転手は「もう停留所を離れたからダメだ!」と一喝し、アクセルを一気に踏み込んだのです。
停留所から離れたといっても、実際にはわずか10メートルほど、しかもノロノロと走り出しただけです。
さらに、この停留所は表通りから少し入った場所にあり、周囲には後続車や対向車もほとんどいません。
普通の道路ではなく、5分くらいは車が通らないような静かな場所です。お婆さんはがっかりした表情で運転手を見ましたが、運転手はそれを無視して走り去りました。
いったい、どういう環境で育つと、こんな冷たい仕打ちを平気でできるようになるのでしょう?
私が大学で法律を学んでいた頃のことです。
私が好きな教授が私に言った言葉が今でも心に残っています。
「法律は何のために作られたか?法律の枠組みに囚われすぎて、ただルールを守ることが最優先になってしまう法律家も多いが、君はそんな法律家になってはいけない。法律は人々の生活を円滑にするためにあるものだ。だから、人々を苦しめるために法律をふりかざして自分が正しいと感じているような人は、真の法律家ではない。法律よりも大切なのは、人としての感性だ。君が正しいと思ったことを優先するべきだよ」と。
最近、ふと考えることがあります。それは
「裁量」と「責任」の関係についてです。
責任が重い立場にいるほど、裁量の幅は広くなります。
逆に責任が軽い立場では、裁量の範囲は限られます。
先ほどの運転手の場合、恐らく停留所以外の場所での乗降は厳しく制限されていたのだと思います。
そのため、もしその場で乗降させて事故が起きた場合、運転手に責任が及ぶのは明白です。
しかし、今回のお婆さんの場合を考えると、状況はかなり特殊です。
-真冬で、バスの本数は1時間に2本ほどしかないこと。
-お婆さんが息を切らして必死に走ってきたこと。
-停留所がわずか10メートルほど離れただけで、バスがノロノロと走り出したこと。
-さらに、この停留所は車も人もほとんど通らない静かな場所であること。
こうした事情を考慮すれば、バス会社のルールを一時的に超えて、「正しい判断」としてバスを止めて乗せるべきだったのではないでしょうか?
話は少しそれますが、日本でも大きな裁量権を持つ立場の人々、例えば政治家や経営者が自分の決定に対して責任を取らないケースが多く見受けられます。これは恥ずべきことだと思います。
私の道場では、「明鏡止水」の心境で自分に自信を持ち、物事を進めることを大切にしています。
たとえ間違った判断をしても、その結果にしっかりと責任を取れる人物を育てたいと考えています。
体験は無料です。
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